よねにっき

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フィールドワーク1 元赤線街N


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  • 私の趣味のひとつはフィールドワークで、つまり街歩きをしながら現地の歴史や風土を調べるって事なんだけど、つい最近になって、私がよく買い物してた街が実は昔は赤線街*1だったことを知りました。
  • つまり、昔はここにカフェーや遊郭*2があったという話です。

 

※以下そんな話題だよ※

※苦手な人ごめんね※

 

  • 調べてみると、1950年代にはこの街にまだ遊郭があったそうで、遊郭だけではなく置屋(妓楼たちの住む家)や、妓楼が通う今でいう美容室のようなお店*3もたくさんあったらしい。
  • 70年代にはさすがにもうそんなお店は少なくなっていたけど、裏通りに立つ街娼の女性はたくさん居たそうだ。

 

  • 現代人の女性である私が「こういう場所面白いね」と暢気にしていられるのも、モラルの向上や法律があるからなのは理解してるんだけど、それでも私は、元遊郭街と聞くとときめきを覚えずにはいられない。
  • というのも、元遊郭街は私の好きなお店が多く、好みの街並みである可能性が高いのである。このNという街もそうだった。

 

  • これはあくまでも私調べなので、必ずしも当てはまらない場所もきっとあると思うのだが、元遊郭街は女性が好みそうな店が多い気がする。女性がたくさんいる場所なのだから、当たり前と言えば当たり前かも知れないけど。
  • つまり菓子屋や花屋が多く、目当ての妓楼に贈るため、もしくはお花やお茶のお稽古のためにこういうお店が発展したのかも。
  • 古い老舗のお店はもちろん、昭和の頃カフェーやスナックだったお店が居抜き物件になり、リノベーションされて今ではお洒落なカフェや花屋になっている、という場合もある。

 

  •  転業旅館がいくつか見られる場合もある。転業旅館というのは、元々遊郭だったお店が旅館に転業したもので、建物は今のホテルに比べて小さいが、内装が凝っているお店が多い。
  • 入口に窓口のようなのぞき窓があり、その窓が花鳥風月など、お洒落な意匠を施されていたならば、それは客が遊女を選ぶための窓であった可能性が高い。
  • 他にも、昔は遊郭だったが今では料亭や割烹を営んでいる店もある。これらもやはり建物が凝っている。

 

  • これらはあくまで一例なので、すべての元赤線街がこうってわけじゃないし、すべての旅館や料亭・割烹が元遊郭だったわけじゃないから、誤解したらダメなんだけど、街の歴史を調べるのは本当に面白い。
  • このNという街は大半が住宅街に変わってしまって、上に挙げたような店は少ないのだけど、とても風情のある街。街中には小川が流れ、川岸には柳が揺れている。川には小さな赤い橋もかかっていて、かつての妓楼たちもここを歩いていたのだろうか。

 

  • 写真はNの隣町(といっても二丁目と三丁目ぐらいの違いしかないので、実質同じ町)の古道具屋で買った小物類。Nにある小川を遡っていくとこの店がある。この古道具屋もかなり古い。
  • 買ったのは塗料のはげた目玉クリップと、多分昭和初期のものと思われるガラスボタンと、ヴィンテージの指輪。他にも古書を数冊買った。
  • 家に帰ってから知ったのだが、元遊郭街はうなぎ屋も多いらしい。つまり精力をつけるためなんだけど、そういえばNにもうなぎ屋をいくつか見つけた。昼食ここにすればよかった。 

 

(2019-08-31 記録)

 

ja.wikipedia.org

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遊廓へ ――女子ひとりで街歩き

遊廓へ ――女子ひとりで街歩き

 

*1:1985年3月以前に公認で売春が行われていた地域のこと。地図上でその地域を赤線で囲み、印をつけたことからそう呼ぶ。

*2:遊郭=江戸時代の花魁がいるお店というイメージがあるけど、実際には昭和の和風なそういうお店も遊郭と呼んだらしいです。

*3:江戸~明治でいうところの髪結い屋みたいなお店かな?